星川杉山神社

MENU

HOMEに戻る

FOLLOW US

Facebook
Twitter

宮司さんのおはなし 第29回

前回より私自身の人生を振り返りながら、出会いを通じて学ぶことの大切さについてお話ししています。今回は、当初神職になるつもりのなかった私が一般企業への就職を経験するところからお話ししましょう。

大学時代に取っていたゼミで「日本の経済を支えているのは中小企業である」と学んだ私は、経済の基盤を支える仕事を経験したいとある通信メーカーに就職し、下宿生活を始めました。下宿といってもひとり暮らしではなく、集団就職で上京した同僚3人との共同生活です。ひと部屋に4人、共に食事をして共に寝起きし、時には麻雀をしたり語り合ったり。仕事でもさまざまな経験をさせてもらい、毎日がとても充実していました。

ところが、それから2年ほどして父が身体を壊してしまい、私は神社へ戻らなければいけなくなりました。とはいえ神職に就くためには資格と経験が必要です。そこで、まず講習を受けて最低限の資格を得た私は、経験を積むために滋賀県の日吉大社でご奉仕を始めました。

比叡山の麓に鎮座する日吉大社はとても大きな神社で、国宝、重文の社殿が数多くありますが、職員の数は少なく、経済的にも決して豊かな神社ではありませんでした。拝殿も吹きさらしの状態で、冬はご祈祷していると肩に雪が積もります。唇が紫色になり指の感覚がなくなるような寒さのなかでのご奉仕は、私にとってまさに修行といえるものでした。けれど、そういうことが平気でできるようになってくると、どんなことでもできると思えるようになりました。人はよく「自分はいま最低の状況だ」と言って嘆きますが、私は「最低」もそう悪くないと思います。最低ならばそれよりも下へ落ちることはないのですから、慌てる必要はありません。落ち着いて全体を見渡し、そこから得られるものを吸収していけばよいのです。自分自身が底辺に立てば、あらゆる人の気持ちもわかるようになるでしょう。そう実感し、自信と強さを身につけることができたこの期間は、私にとって神職としての礎を築く貴重な体験となりました。

また日吉大社での数年間は、宮司さん、権宮司さんをはじめ職員の方々や坂本町のみなさんに温かくご指導いただき、周りの方々との関わりを通して多くの教訓を得ることもできました。私はずっと社務所に寝泊まりし自炊していたのですが、差し入れをいただいたり食事に呼んでいただいたりしたことをいまでもよく思い出します。それはまるで大きな家族のようで、私にとって正しい心の持ち方や愛情のあり方を学ぶ得難い機会となり、神職として生きていくことの意義を見出すことにつながりました。

やがて私は杉山神社へ戻りましたが、そこで待っていたのは日吉大社での苦労とはまた別の試練でした。というのも古い社殿はボロボロで雨漏りがひどく、境内には草がぼうぼう、伸び放題の笹竹がそこらじゅうに生えていたのです。これではいけないと思いましたが、資金もなく、たったひとりでどう神社を再建していけばよいのか、見通しを立てる術もありません。とにかくいまできることを、と掃除から始めて、来る日も来る日も草取りと笹竹刈りに明け暮れました。

そんなある日、ふとひとりのお爺さんが現れると、草取りをしている私の作業に黙って手を貸してくださいました。その方は近所に住むご老人でしたが、何をおっしゃるでもなく、いつもただ黙って来られては草取りをお手伝いくださり、黙って帰って行かれるのです。私はありがたいと思うとともに、この方のお気持ちに報い、なんとしてでも神社を立て直そう、と心に誓いました。当時はお正月にも初詣の方々を社殿にお迎えすることができず、松の内の期間だけ境内にテントを出して御札や御守をお受けいただいていたのですが、みなさんに新年を寿ぎ、お詣りしていただくためにはやはりきちんと社殿を整えなければいけません。私は結婚式やご葬儀、地鎮祭などの社外で行われるご祭儀にも進んで出て行くようにしましたが、総代各位、氏子のみなさんのご理解のもとに社殿を改修し、参集殿と社務所の建設を行って現在につながる体制を作るまで、気付けば46年の歳月が過ぎていました。

この間にも前述のご老人をはじめ、まだ若く経験も浅い私に「きみは神職としてはまだまだかもしれないが、思いの強さはよくわかった。私はそれを信用しよう」と言って結婚式を任せてくださった役員の方や、私の試行錯誤にもあれこれ言わず、信頼して見守ってくださった氏子総代の方など、さまざまな方々との出会いがありました。家族の協力もありましたが、振り返ると人生の分岐点には必ずこうした人たちとの出会いと学びがあり、それがあったからこそここまで来られたのだと思います。

人生というものは、ひとりでは成り立ちません。さまざまな人との出会いがあり、さまざまな出来事を経験しながら1本の道筋ができていくのです。それぞれの経験はその時点ではつながっていないように思えるかもしれませんが、あとになって全体を見てみれば、どんな経験も力強い光となって次の経験へとつながっていることでしょう。そう、それは北斗七星のように、結びつきながら人生を巡り、最後にはまた出発点に戻って、次代の星たちへと受け継がれていくのです。

どんな人の人生も順風満帆なばかりではありません。思いがけず長くなってしまいましたが、前回と今回のお話が、いま逆境に置かれている方や悩みを抱えている方、目標へ向けて頑張っている方たちにとって少しでも励みになってくれたなら嬉しいと思います。私もまた、神職として多くの方々の力になれるよう、これまでの経験を“これから”に生かしていきたいと考えています。

SHARE ON

Facebook
Twitter
お問い合わせ
交通アクセス
Facebook
Twitter
スギマロ
PAGETOP