宮司さんのおはなし 第12回
桜の季節も終わり、初夏へ向かう暖かな風が木々を揺らすようになりました。太陽が放つ柔らかな光は、私たちの心に安らぎや活力を与えてくれます。3月の大震災で被災された方々の心にも、希望の光は届いているでしょうか。
東日本大震災はもとより、今年は年明けから新燃岳の噴火、ニュージーランドの大地震、チュニジアやエジプト、リビアなどでの反政府デモなど、世界各国で『辛卯』の年を象徴するような出来事が続いています。特に天変地異に関しては、目に見えない大きな力が一気に吹き出す印象が強く、私たちには予測のしようもありません。
最近よく考えるのですが、私たち現代人はこの“目に見えないもの”に対して思いを巡らす機会があまりにも少ないのではないでしょうか。そのため、多くの人が日本の伝統的な行事やしきたりなどが持つ本来の意味を忘れてしまっています。身近な例でいえば、お正月に門松や注連縄を飾るお家もずいぶん少なくなりました。本来、門松や注連縄は神さまという“目に見えない存在”をお招きするためのものですから、科学の発達したいまの時代にそうした実感を持てないのも仕方のないことなのかもしれません。ただ一方で、いまだに多くの方々が神社へ初詣に来られ、その数はむしろ年々増加の傾向にあります。なぜ、このような矛盾が起こるのでしょうか。私は、お正月や初詣といった行事が本来の信仰から離れたところで形骸化し、独り歩きしてしまっているからではないかと思います。
こうした行事やしきたりに対して、私たち大人が“形だけ”の行いを続けていると、子供はその意味について教わったり考えたりする機会を失ってしまいます。そうなれば、伝統はますます形骸化していくでしょう。たとえば私たちの生活の基盤となる“家”、これを新たに建てる際には『地鎮祭』を行いますが、最近は「ただやればいい」という感覚で参列される方もいらっしゃるようです。
家は単なる建造物ではありません。年の初めに年神さまをお招きし、神棚にお祀りした天照大神さまや氏神さまのご加護を受けながら、神さまとともに暮らす場所なのです。そもそも神道では“土地”は私たちのものではなく、神さまから「お借りする」のだと考えます。土地だけでなく自然界のあらゆるものに、それを司る神さまがいらっしゃいます。こうした神道思想が根付いている日本だからこそ、伝統的な行事として地鎮祭を行うのです。
地鎮祭ではまず、国土の守護神である大地主神(オオトコヌシノカミ)さまと地域の氏神さまである産土神(ウブスナノカミ)さま、ご奉仕を行う神社の神さまをお祀りします。こうして初めて、家を建てる土地を清め、工事の安全と完成、携わる人々の無事を祈願することができるのです。祭事を行うことで、参列された施主の方はご自分の建てられる家が末永く安全で居心地のよいものになることを願うでしょうし、施工者の方は施主の方のためによりよいものを建てようと思いを新たにされるでしょう。地鎮祭は神さまのご加護をいただくとともに、人と人とのつながり、土地と家とのつながりをも強めることのできる重要な祭儀です。ですから「ハウスメーカーに言われたから」とか「とりあえずやっておこう」という気持ちで行うのではなく、その意味をきちんと理解したうえで参列されることが大切です。
私たちを取り巻く大気や人々の心、命、そして神さま。こうしたものはみな目には見えません。けれど、目に見えないものの存在を感じ、大切にしようという気持ちこそが、よい心を築いていくための第一歩なのではないでしょうか。数々の天変地異や戦争を経験し、そのたびに立ち直ってきた日本が、再びゼロからのスタートを切ろうとしているいまにあって、私はそう思います。